初めに

補修計画を立てるためにスタジオに搬入して撮影を行う。
場所:アセムスタジオ
撮影:山田徹 2019年11月26日

 

愛媛県伊予郡砥部町の豊島家は、「梅山窯」で知られる梅野精陶所のかつての商いの中心であり大正年間に建築された古い商家と出荷倉庫を擁する地域を代表する名家である。

大正期から昭和にかけ、梅山窯を大きく発展させたのが梅野鶴市・武之助の親子であり、鶴市はこの砥部の町長として砥部焼の振興に留まらず同町の発展に赫々たる実績を上げた。

この豊島家は梅野の本拠がさらに大きな場所に移転したあとに、鶴市の娘松子(大正15年~)が松山市の医師である豊島吉男と結婚し、豊島医院を開いた。

今回2020年の県道拡幅に伴い撤去・移設・改修のための計画と設計施工を担当するのが筆者である。

長く収集された松子の時代の品々に交じり、その父である鶴市の蒐集品も数多く在り、今回の事業ですべてを取りだし検証を加えた。

その中に不思議な一双の屏風を発見した。それは江戸時代中後期の作とみられる『群鶴図屏風』である。しかし不思議なことに落款が消されていた。

筆者はその消された落款の謎を追跡することとした。一部には強い私説の部分が多くあることを先ずもってお断りをしておく。

説をたてる前に、ふたつの都市伝説のような話題を挙げる。

①伊予市の船問屋で江戸前期から中期にかけて建てられた『宮内家』の隠居家の天井画が円山応挙である。(非公開)

②砥部の旧家である水車庄屋、坪内家に「円山応挙の絵があった」という地域の伝説。これは現町長も「聞いている」とコメントした。

この2点を謎解きのカギにしてみた。